有名な短歌と歌人

まずはこの8首から
〜日々、三十一音のひとりごと文藝〜

公開日: 2026年9月5日 / 更新日: 2026年9月5日

有名な短歌と歌人|まずはこの8首から

「有名な短歌って、どんな歌があるの?」

「教科書で見た気がするけど、意味がよく分からなかった」

短歌を作りはじめると、ほかの人の歌も読んでみたくなります。

この記事では、いまも読み継がれている短歌を8首選びました。飛鳥時代から昭和まで、時代の順に並んでいます。

ただ歌を並べるだけでは、たぶん頭に入りません。なので一首ずつ、意味と、どこが良いのかを書きました。

この記事で分かること

  • 有名な短歌8首の意味
  • その歌のどこが良いのか
  • 詠んだ人がどんな人だったのか
  • いまの短歌を読みたいときは何を手に取ればいいか

なぜ、この歌は残ったのか

ここで紹介する8首は、どれも千年前や百年前に詠まれた歌です。

でも、読んでみると不思議と分かります。夜明けの空がきれいだった。年をとるのがさびしい。ひとりぼっちだ。——言葉は古くても、中身はいまの私たちと変わりません。

残った歌は、むずかしい歌ではなく
誰にでも思い当たることを詠んだ歌

そう思って読むと、ぐっと近くなります。

柿本人麻呂|朝日と月が、一首の中に

柿本人麻呂の短歌「東の 野にかぎろひの 立つ見えて かへり見すれば 月傾きぬ」を縦書きの短冊に書いたもの
東の 野にかぎろひの 立つ見えて かへり見すれば 月傾きぬ

※「東」は「ひむがし」、「傾きぬ」は「かたぶきぬ」と読みます。『万葉集』巻一・48番の歌です。

東の|野にかぎろひの|立つ見えて|かへり見すれば|月傾きぬ

分かりにくい言葉いまの言葉にすると
かぎろひ夜明け前に東の空にさす光
かへり見すればふり返って見ると
月傾きぬ月が西に傾いた

意味:東の野に、夜明けの光が立つのが見える。ふり返ってみると、月が西に傾いていた。

どこが良いか:この歌のすごいところは、体の動きがそのまま歌になっているところです。東を向けば朝日、ふり返れば沈む月。首を回しただけで、空全体が入ってきます。

カメラを東から西へゆっくり振ったような一首です。千三百年前の人が、同じ空を見上げていました。

柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)は、生きた年は分かっていませんが、7世紀の終わりごろの人です。『古今和歌集』の仮名序で、紀貫之が「歌の聖(ひじり)」と呼んだ歌人です。

小野小町|桜の話をしながら、自分の話をする

小野小町の短歌「花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに」を縦書きの短冊に書いたもの
花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに

※『古今和歌集』113番、百人一首の9番の歌です。

花の色は|うつりにけりな|いたづらに|わが身世にふる|ながめせしまに

分かりにくい言葉いまの言葉にすると
うつりにけりな色あせてしまったなあ
いたづらにむなしく
世にふる世の中で年月を過ごす
ながめせしまにもの思いにふけっているあいだに

意味:桜の色は、すっかりあせてしまった。むなしく、長雨が降っているあいだに。——そして私も、もの思いにふけっているあいだに。

どこが良いか:この歌には、ひとつの言葉に二つの意味が入っています。

言葉ひとつめの意味ふたつめの意味
ふる雨が降る年月が経る(=年をとる)
ながめ長雨眺め(=もの思いにふける)

つまりこの歌は、桜の話をしながら、同時に自分の話をしています。「花の色があせた」と言いながら「私も年をとった」と言っているのです。

直接「年をとってさびしい」とは、ひとことも書いていません。そこがうまいところです。

※この歌は初句が「はなのいろは」で6音あります。字余りですね。有名な歌でも、ぴったり31音とは限りません。

小野小町(おののこまち)は9世紀の人ですが、生きた年も、どんな人だったかも、ほとんど分かっていません。絶世の美女という話は、あとの時代に広まった伝説です。

西行|願いどおりに亡くなった歌人

西行の短歌「願はくは 花の下にて 春死なむ その如月の 望月のころ」を縦書きの短冊に書いたもの
願はくは 花の下にて 春死なむ その如月の 望月のころ

※「願はくは」は「ねがわくは」、「如月」は「きさらぎ」、「望月」は「もちづき」と読みます。歌集『山家集』(さんかしゅう)の歌です。

願はくは|花の下にて|春死なむ|その如月の|望月のころ

分かりにくい言葉いまの言葉にすると
願はくはできることなら
春死なむ春に死にたい
如月旧暦の2月
望月満月

意味:できることなら、桜の花の下で、春に死にたい。あの如月の、満月のころに。

どこが良いか:歌そのものより、そのあとに起きたことが有名です。

西行は文治6年(1190年)の2月16日に亡くなりました。これは旧暦の日付です。

旧暦では15日ごろが満月。歌に詠んだ「如月の望月のころ」と、ほぼ願いどおりでした。

そして旧暦の2月16日は、いまの暦だと3月の終わりごろにあたります。ちょうど桜の季節です。

「こう死にたい」と歌に書いて、そのとおりになった。当時の人たちは驚き、この歌は語り継がれました。

西行(さいぎょう/1118-1190)は、もとは武士でした。23歳で出家し、そこから旅をしながら歌を詠み続けます。『新古今和歌集』には94首が入っていて、これは収められた歌人の中でいちばん多い数です。

正岡子規|とげが、やわらかい

正岡子規の短歌「くれなゐの 二尺伸びたる 薔薇の芽の 針やはらかに 春雨のふる」を縦書きの短冊に書いたもの
くれなゐの 二尺伸びたる 薔薇の芽の 針やはらかに 春雨のふる

※「くれなゐ」は「くれない」、「やはらかに」は「やわらかに」と読みます。歌集『竹の里歌』(たけのさとうた)の歌で、1900年(明治33年)の作です。

くれなゐの|二尺伸びたる|薔薇の芽の|針やはらかに|春雨のふる

分かりにくい言葉いまの言葉にすると
くれなゐ紅色
二尺約60センチ
薔薇のとげ

意味:紅色をした、60センチほどに伸びた薔薇の芽。そのとげはまだやわらかく、春雨が降っている。

どこが良いか:「針やはらかに」の一言です。

薔薇のとげは、痛いものだと思っています。でも、伸びたばかりの芽のとげはまだやわらかい。これは、かなり近くまで寄って、じっと見た人にしか書けません。

それもそのはずで、この歌には『庭前即景(ていぜんそっけい)』という題がついています。かっこ書きで「四月二十一日作」とまで添えられています。

つまり思い浮かべて書いた薔薇ではなく、その日、庭にあった薔薇です。子規はこのころ病気で寝たきりでした。動けないぶん、目の前のものをとことん見たのだと思います。

子規はこれを「写生(しゃせい)」と呼びました。目の前のものをよく見て、その姿を言葉にする。この一首は、そのお手本です。

正岡子規(まさおかしき/1867-1902)。俳句と短歌の両方を新しくした人です。くわしくは短歌の歴史で書きました。この歌の読み方は句切れの記事でも取り上げています。

与謝野晶子|言ってはいけないとされたことを

与謝野晶子の短歌「やは肌の あつき血汐に ふれも見で さびしからずや 道を説く君」を縦書きの短冊に書いたもの
やは肌の あつき血汐に ふれも見で さびしからずや 道を説く君

※「血汐」は「ちしお」と読みます。歌集『みだれ髪』(1901年)の歌です。

やは肌の|あつき血汐に|ふれも見で|さびしからずや|道を説く君

分かりにくい言葉いまの言葉にすると
やは肌やわらかな肌
あつき血汐熱い血
ふれも見で触れてもみないで
道を説く道理を説く

意味:このやわらかな肌の、熱い血に触れてもみないで。さびしくないのですか、道理ばかり説いているあなたは。

どこが良いか:いま読むと、それほど過激には感じないかもしれません。でも1901年(明治34年)です。女性が自分の体や気持ちをこう詠むことは、ほとんどありませんでした。

『みだれ髪』は、出たときにずいぶん批判されました。それでも晶子は詠み続けます。

短歌が「言いたいことを言う場所」になった——その入口にある一首です。

与謝野晶子(よさのあきこ/1878-1942)は、大阪・堺の和菓子屋の娘として生まれ、店を手伝いながら本を読んで育ちました。のちに女性の教育にも力を注いでいます。

若山牧水|白は、何色にも染まらない

若山牧水の短歌「白鳥は かなしからずや 空の青 海のあをにも 染まずただよふ」を縦書きの短冊に書いたもの
白鳥は かなしからずや 空の青 海のあをにも 染まずただよふ

※「白鳥」は「しらとり」、「あを」は「あお」と読みます。歌集『海の声』(1908年)の歌です。

白鳥は|かなしからずや|空の青|海のあをにも|染まずただよふ

分かりにくい言葉いまの言葉にすると
かなしからずや悲しくないのだろうか
あを
染まず染まらないで
ただよふただよっている

意味:白い鳥は、悲しくないのだろうか。空の青にも、海の青にも染まらないで、ただよっている。

どこが良いか:空も海も青一色。そのまん中に、白い鳥が一羽。色が、そのまま気持ちになっています。

まわりに染まらないのは、強いことでもあり、ひとりだということでもあります。「かなしからずや」と鳥に聞きながら、自分に聞いているのだと思います。

若山牧水(わかやまぼくすい/1885-1928)は、旅と酒を愛した歌人です。この歌の句切れは句切れの記事でくわしく読んでいます。

石川啄木|カメラが寄っていく一首

石川啄木の短歌「東海の 小島の磯の 白砂に われ泣きぬれて 蟹とたはむる」を縦書きの短冊に書いたもの
東海の 小島の磯の 白砂に われ泣きぬれて 蟹とたはむる

※「白砂」は「しらすな」、「たはむる」は「たわむる」と読みます。歌集『一握の砂』(1910年)のいちばん最初に置かれた歌です。

東海の|小島の磯の|白砂に|われ泣きぬれて|蟹とたはむる

分かりにくい言葉いまの言葉にすると
東海東の海
波打ちぎわの岩場
たはむるたわむれる

意味:東の海の、小さな島の磯の、白い砂の上で。私は泣きぬれて、蟹とたわむれている。

どこが良いか:「の」が4回続きます。声に出してみてください。

東海 → 小島 → 磯 → 白砂 → われ → 蟹

広い海から、島、磯、砂、そして自分、最後は蟹一匹カメラがどんどん寄っていきます。

大きな景色から始まって、ひとりぼっちの自分に着地する。さびしさの表し方として、うまいと思います。

石川啄木(いしかわたくぼく/1886-1912)は26歳で亡くなりました。短歌を3行に分けて書いたことでも知られています。

斎藤茂吉|川が、逆立つ

斎藤茂吉の短歌「最上川 逆白波の たつまでに ふぶくゆふべと なりにけるかも」を縦書きの短冊に書いたもの
最上川 逆白波の たつまでに ふぶくゆふべと なりにけるかも

※「逆白波」は「さかしらなみ」、「ゆふべ」は「ゆうべ」と読みます。歌集『白き山』(1949年)の歌です。

最上川|逆白波の|たつまでに|ふぶくゆふべと|なりにけるかも

分かりにくい言葉いまの言葉にすると
逆白波波が逆立って白く見えること
ふぶく吹雪く
なりにけるかもなったことだなあ

意味:最上川に逆白波が立つほどに、吹雪く夕方になったことだ。

どこが良いか:「逆白波」という言葉です。

川下から強い風が吹き上げると、川の波が逆立って白く見えます。その様子を表した言葉で、茂吉が作った言葉ともいわれます。

子規が始めた「写生」——目の前のものをよく見て言葉にする——が、ここまで来ました。よく見たからこそ、ぴったりの言葉がなくて、自分で作ったのです。

斎藤茂吉(さいとうもきち/1882-1953)は山形県の生まれで、医者でもありました。この歌は、戦争のときに山形へ疎開していたころに詠まれています。

いまの短歌を読みたい人へ

ここまでの8首は、すべて昔の歌人の作品です。

「もっと今の短歌を読みたい」という方のために、現代の歌人も挙げておきます。

歌人第一歌集
寺山修司(てらやましゅうじ)『空には本』(1958年)
俵万智さん(たわらまち)『サラダ記念日』(1987年)
穂村弘さん(ほむらひろし)『シンジケート』(1990年)

※第一歌集は、その人がはじめて出した歌集のことです。どれも図書館によく置いてあります。

テレビならNHK短歌で、いまの人の短歌を毎週見ることができます。投稿もできます。

まとめ

8首を古い順に並べてみます。

歌人時代と歌集詠んだもの
柿本人麻呂飛鳥
万葉集
夜明けの空
小野小町平安
古今和歌集
年をとること
西行平安の終わり
山家集
自分の死に方
正岡子規明治
竹の里歌
庭の薔薇の芽
与謝野晶子明治
みだれ髪
自分の気持ち
若山牧水明治
海の声
海の上の白い鳥
石川啄木明治
一握の砂
ひとりのさびしさ
斎藤茂吉昭和
白き山
吹雪く川

前の3首は千年以上むかし、あとの5首はここ150年ほどです。あいだが大きくあいています。

では、そのあいだ短歌はどうなっていたのか。じつは連歌や狂歌という別の形が盛んになっていて、和歌そのものも受け継がれていました。くわしくは短歌は止まっていた?(短歌の歴史)に書いています。

そして明治から急に増えているのが分かります。正岡子規が短歌を新しくして、そこから詠む人が一気に増えました。くわしくは正岡子規|短歌が大きく変わった瞬間(短歌の歴史)に書いています。

短歌の歴史を最初から読みたい方は、短歌の歴史からどうぞ。万葉集から令和まで、年表つきでたどっています。

空、年齢、死、花、気持ち、さびしさ、鳥、川。どれも、特別なものではありません。

ちがうのは、そこをよく見て、言葉にしたかどうかだけです。

今日あなたが見たものも、同じように31音にできます。その続きに、あなたの一首があります。

シトロンただいま旅の途中(経理の計算ツール集)